つい4、5日前に夏の入り口と書いたけど、ここんとこすっかり夏本番じゃん!と思ってたら、今日梅雨が明けた。
今日は数年ぶりにママ友たちとのランチ。次女の幼稚園から中学までいっしょのママ友たち。次女と彼女たちの息子の名前が同じ、という縁。あっちは男子でこっちは女子なんだけど。近所のお湯屋さんのレストランで長居。
前にみんなと会った時あたしはアッシュ野郎と付き合ってたので、彼とはどうなったー?って聞かれた。友だちに降格したけど仲良くやってるよーって答えといた。
話の流れで、元夫とも仲良くしてるんだよねって話したら、それは新しい家族の形だと言われてさ、安心したというか、そこはわかってくれたんだなと嬉しかった。
離婚しても仲良くしてる元夫婦ってあんまり聞かないから、理解してもらえそうにない人には元夫との関係を言わないことにしてるの。でも、彼女たちはそのあたりにおいては偏見がなかった。
今晩はおそばを食べた。この前お土産に買ってきた深大寺そば。
おいしかった。
深大寺といえば。実は最近、アッシュ野郎を失ったことをつくづく後悔しているのだ。Tを失ったことがそれほど残念でないことに気づいてから。アッシュ野郎に振られたときは我を忘れて子どもにバレながらも号泣したけど、Tには涙出なかったもんなー。ショックではあったけど。
この前アッシュ野郎に会ってから余計にそう思った。もう一回付き合ってよと言いたいくらいよ。言わないけど。たまに遊んで、ひゃ〜楽し〜!って喜ぶくらいでいいんだと諦めるしかない。あーもうここでは本音を晒してしまう!ほんとにアッシュ野郎にはいろいろ気を遣わせたけど、合わないところもあったけど(それは当然)、基本楽しくて、話がまあまあ合って(それで充分)、優しい奴で、ガタイも好きだった(着衣も)。酔うとショーケンに似てるところも。
ああ言えばよかったとか、ああ振舞えばよかったとか、あんな自分は見せなければよかったとか、いろんなふうに思う。先々結婚とかはしないんだからほどほどの露呈(精神面)にしときゃよかったとか。
恋愛の失敗は次に生かすしかないけど、次はあるのだろうか。次がないとなかなか忘れられないからツライなー。そんな思いが密かにあって、言葉の甘いTと付き合っちゃったんだろーなーとも反省してる。
でも人生は流れだからさ、少し覚悟しつつも深く考え過ぎないで流れに乗るのはアリだとあたしは思ってるの。理性的にとか、世間的にとかはない。好きな方を選んで行くしかできない。だからしょうがない。
恋愛はいちばん人間を成長させるけど、それには恋愛ごっこじゃダメ。本気の本気で人を好きにならないと自分の糧にもならない。自分が心を砕いたり傷ついたりして、生身でぶつかった人にしか得られないことがあるとわかった。
仕事とか家族とかを通しても生きるってことを学ぶけど、それとこれとはまた次元の違う話なんじゃないかな。
恋愛ほど自分勝手なものはなくて、その、自分のものにしたい欲とそれがいかに自己中心的なものかを自覚する、その拮抗が人を成長させるんだと思う。何がどう成長したのと問われれば言葉にするのは難しいけど。それにボキャがなくて陳腐になるのは嫌なので。
でもさ、今、そういう感覚をひしひしと実感できることはやっぱり生きる醍醐味なんだと思う。あたしの周りにいた人たちに感謝してる。惚れっぽいのは自覚してるけど。
まあそもそも、付き合うとか、結婚とか、セックスとかに対する前提とか定義とかそんなに重要なものでもないって思うんだけどね。キリスト誕生後、話がややこしい。
あー話がズレてくる。
そうそう、お蕎麦がおいしかったって話でした!深大寺万歳っす!